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「个人渣翻」TK新书ゆれる序言-世界要闻

序言

不知为何, 我收到了来自KADOKAWA编辑的联络。


【资料图】

我是很少读书的。经理也知道我本来就对读书不感兴趣,而且难以抽空阅读,本打算就这样拒绝。但最终我还是阻止了。很好奇,在众多才华横溢的音乐家中,为何要特意来邀请我?而且哪里有想让我写书的要素呢?

我在某种意义上过着十分保守的人生,是想尽量避免争执的类型,上大学、在不让父母失望的职场工作,本该成为拥有这样未来的孩子。然后不觉间迷上了音乐,或者说,音乐闯进了我的世界。我在大学毕业的同时开启了专注于音乐的道路。对当时未能有任何实际成果的我,母亲表示了极大的反对。“你能在这条鲜有人为的道路中看到有把握的未来吗?想要得过且过还是安稳度日?”听母亲这样一说,似乎我小时候的记忆是那样不成熟(后文会提及,那与妹妹不成熟的部分相互抵消了)。这样的我,可以成为主人公吗?

在对内容进行探讨时,“让写手在您这里取材,以此作为原稿的基础,以这样的方式来推动内容的书写可以吗?”也就是不用我从零开始写,写手会根据采访的内容准备书的整体框架。我很惊讶还有这样的写书方法。我想起过去自己也有过一次(仅此一次)想要写书。但是因为自己心中的一切看起来都很普通,能传达给别人的只有音乐,就这样搁置了。对呀,我看到的景色也好思考也好都很平凡。即使有不足之处,也会产生一种错觉,以为自己所拥有的东西和任何人都一样。于是会想着,仅靠音乐表现出的除了我所表达的色彩之外,还有什么其他的东西吗?正因如此,我才期待有第三者介入以窥探自己的内心。与此同时,如果仅是表达为他人执笔,那还能成为自己的书吗?我半信半疑地把期待寄托在心中。

“或许我被欺骗了......!”

漫长取材后得到的初稿,漂亮地描绘了一个完美的我,打破了我原本的期待。那是一篇非常易读、整理得井井有条的专业文章。我将其与自己的音乐做了对比。即使作品的形式怪异,我也珍视创作的自我认同。即使核心一致,哪怕稍稍变化,也会变得差异巨大。我趋向那殊途同归的形式所代表的力量。像是只有被并非自身之物触动时才会显露的、如同排斥般的灵感。在那一瞬间,视野一下子变得开阔了。虽然好像有些迟了。

连采访报道都在意如何传达语言的我,或许根本就不可能用从零开始以外的方式写书。我以提取的部分为基础,一咬牙亲自写完所有的稿子(很抱歉对内容进行了改写)。虽然写出来花了很长时间,但一边和写手、编辑推敲,一边把自己未知的部分刻画出来的过程很刺激。“书”和“音乐”一点点在脑海中融为一体,渐渐被将自己融入文章的过程所吸引。不觉间我似乎变得能够在未完成的著作中找到自己精神的延续。

即使中途推翻一切也想要表达,简直就是自己的音乐人生。任自摇曳着。

凛として時雨/TK (Toru Kitajima)(北嶋徹)

日文原文:

はじめに

「本を書いてみませんか?」

なぜか僕にKADOKAWAの編集者の方から連絡が来た。

僕はなかなか本が読めない。そもそも本に興味を持っていないだろうし、時間的にも難しいだろうと踏んでいたマネージャーは断ろうとしていた。そこにストップを掛けたのは僕自身だった。数多くの才能溢れるミュージシャンがいる中で、わざわざ僕に声を掛けた理由が知りたくなった。どこに本を書いて欲しい要素があるのかを。

僕はある意味でとても保守的な人生を送ってきた。争いごとも避けてきたような人生だ。大学に入り、親ががっかりしない程度の職に就く未来がぴったりな子どもだったはずだ。それがいつからか音楽にのめり込み、いや、音楽がめり込んで来て、大学卒業と共に音楽だけの道を歩み始めた。なんの実績も先立つものもない当時の僕は、母に大反対された。僕にはあのとき、一握りの人が歩める無謀な道にたどり着く確かなものが見えていたのか、見えていなかったのか。無謀か、いや有望であってほしい。母に聞けば、僕が小さい頃の記憶はおとなしすぎてないらしい(後述するが、おとなしすぎない妹の成分で相殺されている)。そんな僕は主人公になれるのだろうか。

本の打ち合わせに行くと、「ライターがTKさんを取材して、それを元に原稿の土台を作るという進め方はどうでしょうか?」、つまり、僕が0から書くのではなく、ライターさんがインタビューを元に本のたたき台を用意しますということだ。そんな書き方があるのにも驚いた。僕は過去に一度だけ本を書こうと、書き溜めていたことを思い出した。しかし、自分の中にあるものはすべてが普通に見えてしまうので、人に伝えられるものは音楽以外にないと放置したままだった。そうだ、僕から見える景色も思考も、すべてが平凡なんだ。足りないことはあっても、持っているものは誰とも違わないものだと錯覚してしまう。音楽だけではなんとかしがみついて出せる鮮やかさ、その他に滲み出るものがあるのかと。だからこそ、そこに第三者が介入してくれることによって、自分を俯瞰して見られるのではないかと期待した。それと同時に、僕が発する言葉だけを別の人が操ったとして、それが自分の本になるのだろうかと。どこか半信半疑のまま、期待を胸に身を委ねてみることにした。

「僕は騙されたのかもしれない……!」

長い取材を経て届いた初稿は、きれいに美しく僕の輪郭を模った、甘い幻想を打碎くには充分のものだった。とても読みやすく、整頓されたそれはまさしくプロの文章だった。ふと、自身の音楽と重ね合わせる。僕はどれだけいびつな形でも、自分の中から生み出されたものが持つアイデンティティーを何より大切にしている。核にあるものは同じでも、ほんの少しのバランスで刺さるものにも、刺さらないものにもなってしまう。どこかで自分発信ではないもの、一緒に進めてくれる人がいることへの甘えに閃光が走った。自分のものではないものに触れたときにだけ現れる、拒絶に似たインスピレーション。視界がその瞬間、パッと開けた感覚だった。遅いけど。

インタビュー記事ですら自分の言葉がどう伝わるかを気にする僕が、書き下ろし以外の手法で本を作ることなんて、そもそもできるはずもなかった。僕は抽出してくれた部分をベースに、思い切ってすべての原稿を自ら書き下ろしていくことにした(書き直してごめんなさい)。出来上がるまでには長い時間を要したが、ライターさん、編集者の方と推敲しながら、見えなかった自分が浮き彫りになってくるのは刺激的だ。少しずつ「本」と「音楽」というものが頭の中でひとつになってきて、文章の中に自分を請め込む作業に、だんだんと取り憑かれてくるように。いつか書きかけのままだった自分の続きを見つけることができたような気がした。

途中ですべてをひっくり返しても表現したいものを突き話めてしまうのは、まるで自分の音楽人生そのもの。揺れにゆれました。

凛として時雨/TK (Toru Kitajima)

感谢@双洋水10969大佬提供日文原文。

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